
大堀 耕太郎Ohori Kotaro
ごあいさつ
小学校から25年間住み続けてきた西宮市、これまでの人生においてお世話になった皆様への恩返しとして、坂田ジュニアゴルフ塾関係者の皆様から受け継いだ社会奉仕の精神で少しでも世の中のため地域の子供のためになることをしたいと思い政治家になることを決意しました。
政治によって地域社会の情勢が変わることを身をもって体験したことを活かして地域が求めている声を、一般市民の感覚を、市政に対しお願いしていきます。
略歴
| 平成12年3月 | 西宮市立鳴尾北小学校卒業 |
| 平成15年3月 | 西宮市立学文中学校卒業 |
| 平成18年3月 | 私立滝川第二高等学校卒業 |
| 平成22年3月 | 大阪学院大学経営科学部卒業 |
| 現在 | 日章基礎株式会社代表取締役 西宮市甲子園七番町在住 |
学生時代について
1999年6月に阪神淡路大震災後に復興を兼ねて【子供に夢と希望を】という目的で練習・道具・コーチ等スタッフ、
全てボランティアの坂田ジュニアゴルフ塾神戸校が開校したのをきっかけに小学校6年生で入塾。
妹、弟と共に3人でプロゴルファーを目指し励む。
| 平成14年 | 日本ジュニアゴルフ選手権競技男子中学生の部 出場 |
| 平成15年 | 国民体育大会 静岡大会 出場 |
| 平成16年・平成17年 | 日本ジュニアゴルフ選手権競技 男子高校生の部 出場 |
| 平成18年・平成20年 | 日本学生ゴルフ選手権競技 出場 |
| 平成21年 | 日米大学対抗ゴルフ選手権 出場 |
| 大学卒業後プロテストを受けるも不合格 |
社会人時代について
妹、弟が有望な選手になっていたので2人を支援すること決めプロゴルファーの道を諦め、祖母が経営していた日章基礎株式会社に入社。
入社当時は世の中で様々な問題があり、特に政治の影響を受けやすい建設業は大変な逆風の時代でした。
全てのネットワークを駆使し仕事を全国に探しに行くもなかなかありつけない本当に苦しい時でした。
政治が安定し、建設業だけでなく他業種でも少しずつ景気が良くなるにつれ弊社の業績も順調に伸びていました。
政治によってこれほどまでに世の中が変わるということを痛感した次第です。
仕事は自分が抜けても上手く回る体制作りをしてきました。家庭でも2人の子供が生まれ公私ともに順調にいき自分の時間が増えてきました。
これからの人生は地域社会のため、子供たちの未来のため自分のできることを深く考え行動してまいります。
施工経歴
| 平成24年 | 新名神高速道路木津川橋工事 | 京都府城陽市 |
| 平成25年 | 沖ノ鳥島荷捌施設築造工事 | 東京都小笠原村 |
| 平成26年〜平成27年 | 尼崎港鶴町地区防潮堤耐震対策工事 | 尼崎市鶴町 |
| 平成28年 | 福知山線列車事故現場整備工事 | 尼崎市久々知 |
| 平成29年 | 東京国際空港C滑走路北側地盤改良工事 | 東京都大田区 |
| 平成29年 | 西宮朝凪町防潮堤耐震対策工事 | 西宮市朝凪町 |
| 平成29年 | 新川水門設置工事 | 西宮市今津砂町 |
| 平成30年 | 高浜原子力発電所海水取水立坑土留杭設置工事 | 福井県大飯郡 |
| 平成30年 | 美浜原子力発電所海水ポンプ室補強工事 | 福井県三方市 |
| 平成30年 | 松山空港誘導路地盤改良工事 | 愛媛県松山市 |
| 平成31年 | 夢洲2区土地造成工事 | 大阪市此花区 |
| 平成31年 | 鳴尾川防潮堤耐震対策工事 | 西宮市枝川町 |
| 令和2年 | 甲子園物揚場耐震対策工事 | 西宮市甲子園浜 |
| 令和3年 | 北港テクノポート線インフラ部整備工事 | 大阪市此花区 |
| 令和3年 | 阪神なんば線淀川橋梁改築工事 | 大阪市姫島 |
| 令和4年 | 淀川左岸線トンネル整備工事 | 大阪市福島区 |